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門司港発祥 伽哩本舗の『焼きカレー』
納得できない”焼きカレー”は出さない
昭和30年代から作り続けたこだわりのカレー
熱いからこそ最後まで美味しく食べらる「焼きカレー」・・!それが クセになるご飯にカレソースをかけ、卵そして少量のチーズをのせて、オーブンで焼いた料理が「焼きカレー」これこそまさしく、香しき「元祖焼きカレー」である。
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★福岡県北九州市門司区には、数多くの焼きカレーを販売している店が・・・!
今では、焼きカレー銀座、有田焼きカレー、群馬県水上町焼きカレー、更に焼きカレー上戸彩、焼きカレーおにぎり、まで、存在する。
★焼きカレーの世界を覗いて見ませんか?
焼きカレーMAP(マップ) |
ご飯にカレーソースをかけ、卵そして少量のチーズをのせて、オーブンで焼いた料理が「焼きカレー」まさしく香しき「元祖焼きカレー」である。
焼きカレーと言う名称は、今やブームになりつつ、しかしいろいろな種類の「焼きカレー」がある。
焼きカレーの発祥は、私が生まれ育った北九州市門司区(門司港)ですが、製法の特許を取得し現在「焼きカレー」の元祖専門店として名乗っている。
焼きカレーは7〜8時間掛けて立てたブイヨンスープに、ソテドオニオン・フルーツなどさまざまなものを入れ、更に自家製スパイスを加え煮込む、そして2日間ほど寝かせたソースを、300度以上の高温でいっきに香ばしく焼き上げていく・・・。
焼きカレーからとろりと出てくる半熟卵が絶妙、ヤケドしないように一気にこの「焼きカレー」を食べ尽くそうではないか。 |
私の生まれ育ったのは北九州市門司区東本町「門司港」と言う地域です・・・。
今の食生活とは違い、当時は化学調味料を使って、料理を作るような事はなかったように思います、母がすべて味を付け、調理し、それを食していたような記憶があります。
考えて見ますと、当時は、食事に関して言えば、体にとってとてもいいものを食べていた様に思えます。
しかし今は、現代日本の食生活に不安を感じます、事実生活習慣病という病気がクローズアップされています、食生活の改善が必要なのでは・・・!
食生活の欧米化が、重要視されている現在ですが、すべてが悪いわけではありません・・・。
私なりに、本来日本人にあった食材、そしてそれを調理する方法を考える日々です。
しかし、野菜にしても昔と違い、匂いがあまりしない、虫すら食べない、とりわけ野菜は、見た目の商品価値をあまりにも考えすぎ、人工的に、作られる為かもしれませんが、それ以上に心配なのは、多くの日本人が、そのような事に気づかなくなっている事だと思います・・・。
今後の日本の食生活はどうなるのでしょうか、子供たちにはなるべく本来の味を生かした料理を食べさせて上げてください。
k.matsui |
「伽哩本舗のカレー」 原点は母の作ってくれたカレーの味でした
1926年頃、日本では家庭用オーブンが発売され父が電気店をしていた為か、私が生まれ育った門司港の家では電化製品の導入が早く、家庭料理にもオーブンを使用することが多かったように記憶している。
当時私が小学生になった頃だろうか、母親が余ったカレーをオーブンで焼く
ではないか 、部屋中に香ばしいカレー「焼きカレー」の匂いが
そして腹の虫が鳴いたかは定かではないが、その
時の事を今でも思い出す。・・・>続き
(カレーを知ってほしい)
当時日本に於いてカレーが食された時は、明治初期、その当時は一説によると中
の具材は、魚・赤蛙・かき・などが使われ、大正時代に入り軍隊で食される様にな
り、その後それが各家庭で食べられる様になった。
1924年3月10日に、東京・浅草で日賀志屋(現・エスビー食品)創業・初のカレー 粉の製造を開始し、昭和5年に、家庭用のカレー粉がエスビー食品より発売され、
その後に市販のカレールーが発売されるのであるが、カレー粉を使うよりも市販の カレールーが普及したために、カレー粉でカレーソースを作るより簡単に出来る様
になった、たぶん当時カレー粉が出来た頃はカレー粉をいかに使えば良いのか 理解出来なかったのでは・・・続き〜>>
カレー料理の「焼きカレー」に付いて
「歴史とは・・・」 物事の現在に至る来歴
意味・・・それをどの様に現在までに伝統を誇り、名をそして、その物を広めてきたのか・・・!
一説(焼きカレーWikipedia)によると、
焼きカレーの始まりは昭和30年代の福岡県北九州市の門司港の繁華街、栄町銀天にあった喫茶店と・・・あるが・・・>続き
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| 「伽哩本舗」自慢のまろやかでコクのあるシーフードの「焼きカレー」 |
和牛、豚肉、鶏肉のスープから作り上げる絶妙なープカレー |
ブイヨンベースの和牛を使ったビーフカレー |
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